《くすのき》は せらぴーるーむ れいめい のエネルギー・ヒプノセラピー・ スクールを卒業された方が、霊的向上のための勉強を続けたいという自主的な 希望から生まれた勉強会です。



第3期

 


第3期 19回 『くすのき感想文』   2010年4月11日


 ☆ 午前中の皆さんの話は、自分の考え方を改めて見直す機会を与えていただきました。
“自分を律するための心得”⇒自分が考えているより他人からは低く評価されている。

何事に対しても自分の考えをもつこととそれを他人に押し付けていないかの線引きや相手に掛ける言葉の選び方を見直していこうと思いました。午後のテキストの中ではやはり“アストラル・レヴェル”に書かれている障害を持って生まれた人についての話が印象に残りました。
自分で選んで不自由な体をもって生まれた理由には色々あると思いますが、自分自身であったり、周囲の人達とのカルマの解消、また周囲の人達への学びの機会を与えるなど自由をある意味で犠牲にしてでも多くのことを教えてくれるすごい存在なのだなあと教えられました。私はやはり息子に会えたことに感謝したいと思います。

また、最近やっていた“死刑執行”のニュースで自分の中で疑問があったのですがそれを今日のテキストで解消させていただけました。以前は悪=死が仕方のないことと思っていたのですが、最近のニュースで“死刑”においてだれか救われる人がいるのだろうか?と感じるようになりました。例え殺人犯が死刑になったとしても遺族や関係者の人達は心の晴れることはないんではないかと思えるのです。それが今回のテキストを見てどのような形であれ、人が人を裁き死を与える行為の意味について書かれていたので自分自身はとても納得できました。

最後になりましたが今回長男を見ていて子供たち同士のかけひきを勉強した気がします。保育園ではわからないのですが家ではほぼ自分の要求をすぐ答えてもらうことが多いので、私自身も含めて相手とのやり取りの勉強になりました。ありがとうございます。

 

 ☆ 4月から働き始めたことでこれまでと大きく違う状況にいます。
仕事に対してあるいは仕事をとおして感じるいろいろな事はここに来て学んでいることそのものだなあとつくづく感じます。例えばまだまだ新人で技術が至らぬ点もあろう私はただただその時々を一生懸命やるしかないのですが、今日先生から「それが“今を愛をもって生きる”ってことだよ」と言われて、「なるほど!」ととても納得のいく思いでした。

きっとこれまでの生活でも実践する場はあったのでしょうが「時間的に余裕があるから」という感じでついダラダラと過ごしあれやこれやと思いを巡らす時間が長かったような気がします。また、状況が変わったことで自分を温かく送り出してくれる家族や支えてくれる周囲の人達の存在のありがたさに気付けてつくづく「よかったな〜」と感じています。

この感謝の意を体現するように働いていきたいと思います。今回「黎明」から「誕生と死」「アストラル・レヴェル」「メンタル・レヴェル」と読みました。とてもすべて理解するには至らないのですが「肉眼の目で見える三次元の物質世界がすべてではない」「物事には色々な見方が存在する」ということを念頭において柔らか頭で生きていこうと思いました。

  

☆ 今日の皆さんの体験談を聞いていると一ランクレベルアップしたように感じた。自分の課題に真正面から向かい会い肯定的にとらえようとする姿勢をうかがうことができた。

さてこのような姿勢がなぜ貴重であるかは今日のテキスト「黎明」のなかでも識ることができる。死後の世界のことを勉強すればするほど、重要なことは現在を真剣に生きることであることがわかる。否定的な感情や観念を減らし、人の長所を見つめ、愛をもって接することが今生で学ぶべきことであるがこのような観点で今の自分を見つめてみるとどうであろうか?他人の言動にイライラし自分の価値観に合わない他人の言動を否定している自分が頻繁に存在していることを認めざるを得ない。

全ての事が自分の成長の為に存在するとすれば、自分をイライラさせる存在は自分を成長させる為に存在していることになる。自分の価値観や方向性が決して間違っているとは思っていないが他人の価値観やそれが形成される背景を理解せぬまま表面的にしか他人を見ていない事に自分の課題があるように思える。明日からの行動において「一旦受け入れる」そして間をおいて「自分の意見を述べる」という行動を習慣づけていきたいと思う。これができるようになれば一歩成長できるのではなかろうか?

本日も貴重な勉強を出来た事に感謝します。

 

☆ 今回皆さんのお話の中から気付かせていただいたことは、意識がそこにないと見えるものも見えないし気付くことも気付かないという点でした。自分の身の周りに起きる現象は自分の状態、自分の波動を反映して起きているというのは自分ではわかっているつもりでしたが、意識がそこにないから見えていないのですね。

自分の仕事の上での一部の工場の大反対といった現象の背後にある部分に自分の意識がいっていないために問題の解決に向かえなかったのはまさしくそうだと感じました。結局、先生にサポートしてもらってうまくいきました。ありがとうございます。

そしてさらに、自分の話をする際にうまく話ができていない。と言うのを痛感しました。話をしようとしても気付きとそれから成長するといったことが話せない。どうも気付いて成長していこうといった姿勢に少し欠けているのではないかということを感じました。気付いて成長していく。大事なことに気付いたような気がします。あらためてそれを決心します。

ありがとうございました。

 

☆ 今日も皆様に会えたこと嬉しく思います。そして何より皆さんが日々自我意識と向き合い、本来の自分ではない(例えば何かをやろうとする時、不安とか別の事を想ってしまうような事)を普遍意識の心でそれぞれの事柄をみつめて日々向上していらっしゃる事に私も勇気と力と向上心をいただいております。ありがとうございます。
光の詞を毎日、朝夕と唱え努力して心を無にして心と向き合い感じて向上していきたい。自我に負けない不動の心。己に勝つ。

黎明『誕生と死』を勉強しました。誕生と死
(転生)、魂が自分自身の成長と宇宙全体の役割の為に行っています。魂が地上で培ったものの考え方、固定観念、感情表現の習慣等は、死後(精神階層)でも大切なこと。その意識から成る世界だからです。そこが一番なので、地上時代を大事に向上していきたい。

相手の自我が強い時(何事も反対するなど)その人の自我に愛をもって相手の言い分を受け入れ、それからこちらの気持ち(計画してある事柄など)を説明し納得してもらう。そのような事で相手の自我意識もこちらの言い分をわかってもらえる。そのように相手の立場になって観る。そこから押し付けではなく、協力して物事を進めることが大事なのだと勉強いたしました。

 


第3期  17回  『くすのき』  感想文  2010年2月21日


☆ 今回は「意識」のあり方について、気づかせていただくことが多かったように思います。
自分の体験や皆さんのお話から「その時、『キツい…、動けない』と思ったのは本当に自分なのか?となり、潜在意識と自我意識等の話となり、如何に自我意識(左脳)等が優位に働いているのかがわかりました。
そして、その自我意識(左脳)等優位が正しくない状況だというのは、『キツいから動けない』と思っていたのに、実際に動き始めたら楽だった」という体験からも明らかなのでした。

 桑田二郎さんの『あの世が楽しみ』を皆で読んでいた時も「あの世など存在しない。伸でも存在する魂など存在しない。自分で認識できる範囲の自分が自分のすべて」で、「これでどうなるかわからない未来を切り開いて生きていかなければならない」と暗い気持ちで決心らしきものをしたことを思い出しました。それで、自分一人でも倒れそうなのに、子供の分まで・・・と思うと押しつぶされそうでした。

今は、自分や周りの事も、目に見えることや現時点での科学で証明されていること以外の部分でも、感じたり信じたり出来るようになり(過去から未来への流れも含めて)、以前より心軽く生きられていることをあらためて幸せに感じました。子供も子供として、自分とは別の存在である・・・・として子供に接しつつ、「自分はどういう人間なのか?(何が好き?)等」をあらためて見つめている日々です。
瞑想には、小さな黄色い花が出てきてくれました。たぶん雑草として抜かれることが多い花です。そして、その花として一生懸命咲き誇っている姿を見せてくれました。
私も自分として一生懸命生きようと思いました。

 ☆ 今日自分の話しをしながら、自分が話してないことに気付かされ驚きました。話をしながら涙が出てきて、自分でも「あれ?何で涙が出てくるのだろう?」と少し違和感を感じたのだけれど、感情があふれてきて涙が止まらず、昔の不安な思いやネガティブな気持ちで話していました。
先生に今ネガちゃんが話しているよ」と言われて「そんなんだ?!」と思ったら、気持ちがパッと軽くなり、身体を動かしてまた話し始めると、話そうと思っていた動くことができた話が出来ました。良かったです。

先生やみなさんが話されていたように一瞬一瞬、ひとつひとつの思い、言葉、行動が本当に自分のものなのか、それともネガちゃんから来るものなのか、気を抜かず、意識しながら生きていきたいと思いました。
そして、いつでもどんな時でも本当の愛を表現できる光の存在になりたいと思いました。

 
☆ 午前中の皆さんの話では、まず、“動く”ということを教えて頂いたように思います。きつくて動けないと思い動かないのは“自分”ではないこと、“自分自身”がなにを思い、動こうとしているのかを見失ってはいけないと思いました。まず、“動いてみる”と決心し行動したMさんには感心したのと同時に尊敬さえ覚えました。1ヶ月前と顔つきが全く違い、周りの人達の顔を見ながら話している彼女を見て、私自身も小さな事柄でも身体を動かそうと思いました。

 午後のテキストでは、「いのち」というたった3文字のテーマに対して、とても深く書かれており、言葉の重さというものを感じました。
うまく言えませんが、現実的な“命”と死後の“命”の世界は全く別物で、死を境に一般的に天国か地獄に行くと考えていたのに対して、現実にあった意識そのものがそのまま死後の世界へと続くという考え方は、まさに自分の死の瞬間、どのレベルでいられるのかを考えさせられることでした。
以前テレビの中で「天国も地獄も自分自身が造り出すもの」と言われていたのを思い出しました。

また、現代科学において、鉱物等に関して“いのち”を考えることは軽んじられているところではありますが、はるか昔は全てのものには“いのち”が宿ると考えられており、『やおよろずの神』として多くの人間が敬っていたと聞いたことがありました。現代の人々が失ってしまった多くのものの中には、かなり重要な意識もあったと思います。

 

 ☆ 今日は桑田二郎著「あの世が楽しみ・死後のアストラル体」をテキストに勉強させて頂いた。
いのちについて、この世に存在する生命が終了しても魂としてあの世へも続く、永遠の存在が本当の「いのち」なのだという事を再確認できたと思う。
以前にもその類のお話を何度も聴いて、また自分自身に起きた体験も含めて、生きているものがこの世で死を迎えても無になってしまうのではなく、ちゃんと違う次元のところで存在するということを確信を持って信じていたので、この文章を読みながら、なんら違和感を持つことなく、同感の思いで読み進めていくことができた。

『十王経』における死後の中庸や、『チベット死者の書』における具体的な文章は、小さい頃からお年寄りが、良くない事をしたら死んで地獄に行って苦しむ話の断片として聞いていたことがあったが、七日七日の積み重ねで死後の世界を進む、その七日の区切りと、この世の法事の初七日、四十九日などが、中庸の期間に一致している事に気付かせてもらい、すごいな!と納得している。

死んで行く世界はこの世で自分の持っている感情や、真理とするものが心の現われとして、自分の世界としてパノラマ的に映し出し・・・、その中であの世を生きることになるのだなと思う。やはり死んだらおしまいなのではなく、この世での魂の乗り物(肉体)に乗って更なる魂の進歩の為、学ぶ為に生れて来るのだと思うと今、今、今を大切に本当の自分を見失わずに表現できるようになりたい。
また、体験する事柄にも自分を進歩向上させるための五感の目に見えぬ大いなるはからいがあるのだと、今まで以上に確信を持って、恐れるより楽しんで取り組めるようになっていけたら、どんなに素晴らしいだろうと思う。

命はここで終わりということがないように、自分の学びも進歩も永遠の課題なのだと思っている。井の中の蛙にならないよう、自分の意識や行動を広げていきたい。それも義務ではなくワクワクと楽しい予感を持って進んで生きたいと思う。今、こういう機会を得て、お勉強が出来る今を光栄で幸せなことだと思う。感謝!!

 

 ☆ 「あの世が愉しみ」死後のアストラル界 について一回目の勉強をしました。
私が現在感じている内容について述べたいと思います。あの世もこの世も結局は自分の意識が反映される世界ではないかと思っています。ただしあの世の場合は自分の意識にあるものしか存在しないし時間の概念がないから意識したことが瞬間に反映される世界である、と思います。
それに対してこの世は自分の意識にあるものだけでなくこの世に存在する全ての意識によって成り立っている世界ですが自分の意識が大きく反映され、実現するまで時間がかかる世界だと思います。

今回、冬の山中湖にダイヤモンド富士を見に行こうと思った際に雪を心配し、車の雪対策をどうしようかと気をもんでダイヤモンド富士よりも関心事が雪のほうに行ってしまったことが現実として山中湖に出かけた際に雪を呼んだのではないかと感じています。
つまり現実世界でも意識に応じて現象が現れることになると思いました。

特に死んだ後の世界では、死んだ時のその自分の意識が即反映されるということを改めて今回勉強しました。つまり自分の意識が最も重要だということです。

今この現実世界で自分の意識をどう高めていくかがやはり最も重要なことだと感じさせていただきました。
ありがとうございました。

 

☆ シャーリー・マクレーンの本(アウトオンアリム)を丁度読み終わった後に、この本(あの世が楽しみ)に触れたことは、大きな意味があったように感じるし、たくさんの共通点を感じた。前者の本にも、恐怖の根源は死後の世界を認めないことにあり、輪廻転生を認めることによって恐怖から解放されると書いてある。『十王図』や『チベット死者の書』に記載されている内容は、実感を持って理解する事は難しいが、感覚的に自分の中に入ってくるものはあるし、祖父の死のときに感じた、祖父がすぐそばにいる感覚も正しいものと思う。ただ最近は「初七日」は葬式の翌日にするように合理化されているそうで、仏教の世界においても科学迷信に潰されているのではないかと危惧される。

さて、科学迷信に惑わされないようにすることはもちろん大事だが、一方では現実をしっかり見つめることも絶対に忘れてはならない真実であることも、しっかり認識しておく必要があると思う。

シャーリー・マクレーンの本に戻るが、科学を追及し続けたアインシュタインが、輪廻転生を信じていたという事実は大変興味深い。今は未熟な物質科学も次第に意識の世界の解明に進んでいくものと思われるし、それが早く実現することを期待したい。次回の『あの世が楽しみ』の後半が楽しみです。

ありがとうございました。


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第3期  15/16回  『くすのき』  感想文  2010年1月17日


 ☆ 今回、午前中のお話は、状況は違えど「死」というもの、「家族」というものが何かを考えさせられるものだったように思えます。
自分がどうしたいのか、何をしたいのか、家族とは何かを考えさせられ、再び見つめ直すきっかけを与えて頂きました。「死」というものについては、逝く人、残される人の思いを日常の生活の中でどのように昇華していくのか、また、思いを残さず生きていく生活をしたいと思いました。

      さよならの時も静かな胸

      ゼロになる身体が耳を澄ませる

      生きている不思議 死んでゆく不思議

      花も街も風もみんな同じ      (千と千尋の神隠しより)

午後の『波動の法則』では難解な言葉や数式が出てきてとても難しかったです。先生の補足によって、何となく感覚はとらえられるのですが真に理解できたのか少し不安です。

しかし最後に書かれていた「決心」及び「実行」については納得(理解)できたように思えます。

「自らの行動に決心し、実行する」この当たり前のような行動ができていなかった時から考えると、現在は少し自分自身が変わったように思います。自分の考えに対して決心して行動すると、必ず周りの状況が変わるようになりました。また、実行し失敗しても、そこから何かを学べると思える気持ちになっています。

その他、直感を信じるということにおいても、共感できたのですが、この部分では自我と直感の区別を自分ができているのかはまだまだ勉強しなければならないと思います。

 

☆ 皆さんのお話しを聞き、日々の生活の中で努力し、向上されているのを感じ、私も少しでも皆さんに近づけるよう頑張ろうとエネルギーを頂くことができました。ありがとうございました。

今回、改めて決心することと行動することはとても大切だなと感じました。
今まで、“〜しようかな・・・”“〜できたらいいけど・・・”などあいまいな気持ちのまま、あいまいな行動を取っていたり、出来ないかもしれないからと決心することを避けていることが多かったなぁと思いました。

これからはあいまいな気持ちのままではなく、小さなことも決心して行動を起こしていきたいと思いました。そして少しでも動ける自分、ありたい自分になっていこうと思います。

 

☆ 『波動の法則』の名称(宇宙語)がなかなかなじみにくく、図表を見ても理解するのが難しかった。自分の現在生活に、この2ヶ月で学んだことを生かす為には、やはり自分の直感に素直に従うようにしようと思う。

今まで「○○したい」の後に「けど・・・」が必ず付属品のように付いていたが、これをやめよう!
自分の本心(内なる声)に従って実行を重ねていこうと思う。決心することが大切とあったように、ひとつひとつを決心して行動しようと思う。存在するもの全てに意識があるというから、こちらが意識を向けさえすれば意思の疎通が出来るようになるのだと思う。決心して行動を起こす時も、私ひとりの人間という意識を大きく羽ばたかせて、地球や宇宙レベルの事まで気を配り、調和できる道を選んでいけるようになりたいと思う。

全てのものに意識がある。肉体の口で対話が出来なくても心で対話して、尊重して対応していけるよう自分にレベルアップしたい。起きてくる事柄はすべて自分に必要があって寄って来ている。自分にもその波動があって引き寄せている。ほんとにすべての事柄は自分を見つめ、学んで成長させてあげる為のものなのだなと思った。

これを心に留め、前向きに生活して行こうと思う。行動にいつも愛を伴うことの出来る人になりたい!

 

☆ 今日のスピーチのひとつのテーマが「生と死」となったが、先日祖父を亡くした私にとっては、大変興味があった。肉体の死は本当の死ではなく、魂が存続することを、祖父という身近な存在で実感できたことは大きな意義があったと思う。又このような事を語り合う場に恵まれている事も大変ありがたいと思う。

さて「波動の法則」は何度読んでもすべてを理解する事は難しくあるが、結論はすごくシンプルである事は良く理解できる。「決心」「実行」すると言うことは、以前足立さんの講演を聞きに行った時も強調されていた点であり、それから、意識しながら実行してきたつもりである。しかし、結果は必ずしも良い?結果ばかりではなかった。
例えば、納期を守れない部下に対しての対応はどうだったのだろうか?結果的に部下の行動が変わった訳ではなく、直感でこうしよう、ああしよう思った事は、自分勝手な都合(自我)であったのかもしれない。
本書に書かれている「全てに対して謙虚であること」これが普段の言動の中で、意識の中で、いかに実現できるかが大きなポイントであると思う。
ではどうすればいいのか?組織の目標達成の為には、ある程度の主義主張は必要であるが、(うまく表現できないが)直接的な主義主張ではなく、できるだけ意識の深いところに訴えていくことが肝要に感じている。この深いレベルでの直感を得られる様、日常の自分の言動を観察して行こうと思う。

 

☆ 波動の法則について2回にわたって勉強しました。
波動の法則は以前に2回ほど読んだことがありましたが改めて今回勉強して以下のことを再度認識しました。
自分自身がすべてに対して謙虚であること、直観に基づいて行動すること。
本当はこうだと思ったら決心して実行すること。
 

なかなか直観に基づいて行動できないことが多く、電話でもまさしくそうで電話をかけようと思っても「もう一回話をすることを整理してから電話しよう」と思って後回しにすると、相手がその時にはもう出張に出た後でつかまらなかったりといったことがよくあります。

また、「本当はこうしたほうがよいのだけれど」と思っても、でも「現実はこうだから実行するのはたいへんだよね。とりあえず今はこうしておこう」といったことがよくあります。その為に根本的な解決にならずに何度も同じ問題を繰り返すといったことになってしまいます。 

本を読んだ時には本当はこうだと思ったことを決心して実行と思ったのですがその実行がなかなかできていませんでした。まずは直観で本当はこうだと思ったことを決心して実行しその感覚を体感することを決心します。

そして自分を磨いて自我の振動波を出すことなく直観で本当はこうだと思ったことを決心して実行し続けていくことを決心します。
ありがとうございました。

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第3期  13回  『くすのき』  感想文  2009年10月13日


 ☆ 今日のワークをしながら、なかなか言葉が出てこなくて、まだまだ自分の気持ちを素直に表現するのは苦手だなと感じました。  
みなさんがすらすらと書いておられるのを感じながら、焦る気持ちや思うように書けない自分への苛立ちの感情がわいてきて、まだ他の人と自分を比べ、人の目を気にしている自分を感じました。
 
自分の気持ちだけを素直に表現することができず、無意識に自分の中で良い悪いの判断をして、人にどう思われるかを、自分の気持ちよりも優先しているのを感じました。
 
もっと、自分の素直な気持ちを良い悪いの判断をせずに、認めて、そのまま感じて表現できるようになりたいと思いました。
 

  ☆ 今日は高速道路の渋滞もあって、到着が予想より遅くなり、皆さんの体験談を聴くことができずに残念でした。

テキストのワークで改めて、許せない人、和解したい人の名前を挙げて、その人に対する自分の感情を吐き出し、そしてその人の立場になって動機を書いていくと、以前より、その人の気持ちを自分なりに察することができたと思う。
相手の気持ちがわかると、表面に現れた言葉や態度の奥に別の理由を見つけ出すことができ、理解が深まり、相手への憎い、許せない、悲しい、悔しい等の一方的な感情が変化していた。
その人も本当は愛してほしい、認めてほしい、優しくしてほしいと思っているのに(自分でも認識しないまま)素直に表現できずに、屈折した形で言葉や態度になって表現されたものなのだと思えてきて、気の毒にも思えてきた。
 
相手に対してもっと理解を深め、もっと許せるようになれると思えるようになったのはすごい収穫だった。
 
ワークで書いてみることではっきりと自分の気持ちを確認していけたのは、本当に良かったと思う。自宅でもこういう時間を持ちたいと思う。

そしてすべては何かの学びになっているという事を、いつも心の隅にとどめて生きたいと思った。

 

 ☆ 今日も皆様にお会いできたことを嬉しく思います。そして何より元気で日々色々な出来事に対して気付き、学びを得られていることに又自分自身もエネルギーをいただきました。ありがとうございます。

今日の私の気付きとしては、体の痛みに対して心を向けていくことでした。今日まで色々なメッセージがありながら、そこへ心を向けず、痛みを無視していましたので、今回骨盤を痛め、寝ることも起きてもどうやっても苦しくて苦しくて、どうしようと大変だった時に、本当に相手(夫)の体の痛み、不便さに共感できたことで、それを夫に素直に言えた。

いたわりの言葉に対する夫の、私への感謝の言葉をもらい、体の痛みを通して思いやりの大切さと心を学びました。
自分の身体だけど、身体をもっともっと大切に、身体の声を聴こうと思いました。  
また、皆様の話を聞かせていただいていて、同じ事柄でもその人の目線とか意識の置き所で、受け止め方や相手の対応などが違ってくるのだなと感じました。

これからももっと自分の心を見つめ、第三者の立場で己を見、日々の生活をより良くしていきます。  
ありがとうございました。

 

 ☆ 皆さんのスピーチを聞いていて、心の細かな動きやそれを観察している姿に感心させられます。日常の生活の中で、いかに注意深く過ごされているかの裏返しであり、『カルマヨガ』と繋がるものがあると感じました。たくさんの刺激をありがとうございます。これから自分の生活に活かさせてもらいます。

さて、「鏡の法則」は、完全に読み上げないまま、本棚に飾った状態で内容も忘れていたが、本日のワークでこの本の求めているものが何となく解った様な気がしました。何事も自分を振り返る機会を与えてくれるもので、「許せない人」でさえその対象である事を改めて認識させてもらいました。頭では理解していても、自分の行動が、それからかけ離れていることも良く理解できました。今日得た感覚をどれだけ活かせるかが私の課題となります。

「十牛図」においては、これまでの感覚だと、七段階〔忘牛存人ぼうぎゅうそんにん〕もしくは八段階〔人牛倶忘にんぎゅうぐぼう〕が最後の境地のように思っていたが、その先〔返本還源へんぽんげんげん〕〔入てん垂手にゅうてんすいしゅ〕がある事に大きな意味がある様な気がしました。先が長い長い旅である事に変わりはないが、しっかりと先を見つめて、穏やかな気持ちで日常の生活に戻って行きたいと思います。  
有難うございました。

 

 ☆ 今回も皆さんの貴重なお話を聞かせていただきたくさん気づくことができました。

特に、皆さんのお話の中で感じたことはMさんのお話の中で少しでもうまくいかないことがあるとついつい自分を責めてしまう。うまくいっていることころをみることがなかなかできない。というお話がありましたが、私の場合そこが特にうまくできていなくて罪悪感を感じてばかりいたような気がします。
前の妻にたいして、生前、何もしてあげられずに亡くなっていった と思っていました。前の妻は“結婚して病気になって良いことは何もなかった”といつも言っていましたので、それが頭から離れなかったのです。そこに罪悪感を感じていたようです。  
しかし、病気になったことで二人で精神世界のことを一緒に勉強して例えば魂は死んでもまた転生するといった知識を身につけて亡くなっていったことを考えると、良い面もたくさんあったなと思っています。
 
いやそれこそ重要であったなと思っています。
 
最近そこに気づくことができ、今回のお話の中でまたあらためてそこを感じさせていただきました。

また、Kちゃんのお話の中で自分の気持ちをしっかりと見ていくことが周りを変えていくというお話がありましたが、以前にもそういうお話をこのくすのきで何度も聞いていたことを思い出し、改めて感情をしっかりと見ていくこと、感情だしを行うことがこの現実世界を変えていく力を持っていることを感じました。

しっかりと感情を見て感情だしをやっていきたいと思います。ありがとうございました。 

 

 ☆ 今日はひとつの事象でも色々な角度から見ると、感じることや見えてくることが違うのだということを学びました。

その中でも、「紙ベース(テストなど)で見ると、欠点を指摘するのではなく、できているところをほめられるけど、行動でされると思わず怒ってしまう」との言葉に、反省させられました。
目の前の子供の行動に口が出てしまう(時には手が・・・)ことも、結局のところ、誰の為に怒りを持っているんだろうと考えると、やっぱり自分なんだと思わされます。  
他人が指摘すると「それはどうかな」と思うことも、自分がやっていると気付かないものだなと思いました。
 
また、出来ることをほめないで、できないことを責める自分がいると言われていたのですが、全くもって私もそのひとりなので、自分を見つめ、子供(子供以外にも)できていることを、認めて大切にしていきたいと思います。

今日のワークでは、3人の名前を挙げたのですが、それぞれに対して、いろんな学びがあることをあらためて見せられ、気付かされました。  
人とのつながりの大切さを知りました。

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第3期  12回  『くすのき』  感想文  2009年9月13日


※ 今日も皆さんの貴重なお話を聞かせていただき、たくさんの刺激をいただき感謝します。ありがとうございます。

自分を見ると感情だしはできておらず、また最近お経もさぼり気味で一つ間違うと人を傷つけてしまうような自分の生き方に反省を促すような現象が起きてきており、これは何とかしないといけないなと反省していたところへ、良いタイミングで皆さんがお経をはじめいろんなことを頑張っておられるお話を聞かせていただき、改めて頑張る力がわいてきました。

特にMさんのお話でお経をあげていると雑念を浮かべる暇がないというのはなるほどと思いました。私の場合は、雑念に振り回されてお経をあげることも十分にできていないというのが実態です。

また、今日は般若心経の勉強で『正見』に始まる「八正道」を実践して、一歩づつでも霊的進化の道へと進んでいくためには、お経の力がどうしても必要だというのを勉強させていただきました。もう一度目標を決めてお経に専念したいと思います。そして感情だしの実践も。

ありがとうございます。

 

※ 今日は子連れで参加させていたき、ありがとうございました。
皆さんのお話を聞き、やっぱりお経の力は素晴らしいと思わされました。

自分の中の感情の変化(怒り)の波が小さくなっている事に気付き、日常の生活において、心の平穏をもたらしてくれるものだと再度実感させていただきました。それでも怒りの矛先を子供に向けてしまうことがあるので、今後は“感情出し”が私にとっての大きな課題になるんだと考えさせられました。

それと、どうしても周りには言い出せなかった自分の気持ちをこの【くすのき】で吐き出せたことは、やっぱり自分は幸せなんだなぁ〜と実感しました。周りに支えられていることをこのスクールで何度も感じさせていただいています。

般若心経では一節一節の文に本当に深い意味の教えがあることを痛感させられました。本当の意味では真の理解ができていないと思うのですが、回を重ねるごとに、以前はボーっとしていたことが見えてきたように思います。

過去(カルマ) →  (結果) ≪現在≫(未来へのカルマ) → 未来(結果)

この大きな成り立ちの中に生きる自分にとって、どの道を通るか、考えさせられる回でした。

        今回も皆様に逢えた事、嬉しく、また感謝いたします。

爽やかな秋の訪れを感じつつ、一方ではせみの鳴き声に残暑を感じて、【くすのき】を楽しませて貰っています。

皆様の朝の挨拶で、共通していた言葉に「般若心経を唱えていると心が暖かくなる」ということがありました。不思議でした。今日の勉強は般若心経だったからです。・・・これって・・・?!!!
何だか嬉しいです。

私に関しては、日常の生活においての自分の心の動きに色々と気付きがありました。《相手に言った言葉はもしかしたら押し付けではなかったのか?》とか《・・・自分が怒りを我慢していたから、あの言葉を言ってしまったのよね・・・》色々問い掛けている自分がいます。

般若心経の勉強はやはり難しいなぁ。
今、何より大事なことは精神の目覚め!!それがなくては何事も始まらないし精神はいつまでたっても『苦』の世界を堂々巡りだ!という教えがありました。その言葉は私の心の言葉として響きました。

いやな感情に自分の心を任せてしまっていては、心はますます歪むばかりなのだから。その歪みを自分から取り払おうとするには、自らの心を常に良い角度で働かせようとする意志と努力が必要だということ。

やっていこうと心に誓いました。

 

☆ 改めて素晴らしい勉強の場であることを感じさせて頂きました。有難うございました。

「八正道」で出てきた『善と悪』『正と邪』は考えさせられることが多く出てきた。自分では正しいと思い、正しい言葉で相手に投げかけているが、『正と邪』の『正』ではなく、我意識から出ている『正』かもしれない。
では『我』はどうすべきか?

『正と邪』を正しく判断する根拠も経験も持っていない(正眼は忘れている)状態で、正しく思い、正しく言葉を発し、正しく行動することは至難の技のように思えるが、今日の勉強を終えて、自分がすべき事は「真剣に思い、心を込めて行動すること」だと思った。
たとえそれが『正と邪』の『正』ではなくとも「自分がやれる最大の事をやりつづけること」これを今日勉強させてもらったと思う。
それから『正念』で出てきた『感謝』に心が止まった。

最近、般若心経を唱えている中で「愛一元」「光の存在」を意識しようとするが、なかなかイメージがつかめない為に、『感謝』をイメージすると比較的入り込み易い感覚があった。身体に感じる温かい感覚やしびれる感覚、心がボーっとする感覚に感謝すると、更にそれらの感覚が強まるような気がする。
今日「八正道」を読んで、それで良いんだなぁと思った。

今日はたくさんのことを感じさせてもらいました。今この瞬間からの日常の生活で、今日感じたことを常に意識していきたいと思います。
有難うございました。

 

☆ 今日は朝から目が開きづらく、頭もボーっとして考えもまとまりづらいような状態で来ましたが、感想文を書いている今は、目も開き、頭もだいぶんスッキリしています。(痛かった背中や腰もポカポカと温かくなっています)

今日皆さんのお話を聞いたり「般若心経」について読んだりして学んだことは、「こうあらねばならぬ!」という思い込みが苦しみを作り出しているということです。「正しい」にもいろいろあって、自我意識の言う正しいことと普遍意識の言う正しいことは違うよなぁ〜、と最近の出来事や歌の歌詞を思い出しながら、あらためて感じます。

また、“自分はひとりだ”と孤独を感じる時や未来や変化に対して不安を感じる時は自我意識が優位に働いているんだなとも思いました。普遍意識の存在に思いを巡らせば、その孤独や不安は存在し得ないからです。

「正しい」(普遍意識の)フォームでボールを放れば、時間差はあっても必ずゴールに決まるのだから、皆さんのお話を励みに私もやっていこうと思いました。  

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    第3期 11回       『くすのき』感想文        2009年8月9日 


 

☆ 今日は3ヶ月ぶりに参加させていただき、懐かしい皆さんと共に楽しい時間を過ごさせていただきとてもうれしかったです。皆さんのお話を聞いたり、自分の話を聞いていただいたり、一緒にお祝いしたり・・・・

“色々なことを分かち合って学んでいくって素敵だなぁ〜”とあらためて感じました。

ちょうど同じ時期に同じような感情の揺れを体験された方がいて、不思議に感じたり、別の方のお話を聞いては“私もこんなことがあったなぁ〜ウンウン”と共感したりしました。

また「般若心経」の中の“「我」の感情を「無」にするということは、我意識の波動によってかき消されている精神の本質の波動を、意識の表面に浮き上がらせること”と言うフレーズに、“まさに今やっていることだなぁ〜、大昔から言われていたんだ!普遍だ!素晴らしいなぁ〜”とつくづく思いました。(2日前の出来事や、ここ3回のセッションの中身・・・小学生や高校生だった頃のことが出てきました・・・)

また、“霊”と“肉体生命”についての記述は、つい先日読み返した漫画に似ている表現があり、また普遍を感じて、ありがたいことだとあらためて思いました。

 

☆ 皆さんのお話を聞きながら、皆さんそれぞれが起きてくる様々な現象に意識を向けて、そこにあるメッセージに気付き、学び、向上されていることにとても素晴らしいなぁと深い感銘を受け、又自分もそうありたいと強く思いました。
きっと私にもたくさんのメッセージが、今まで与えられていたのだろうけど、そこに気付かなかった、気付こうとしなかった自分を残念に思い、それでも与え続けてくれていることに感謝の気持ちが湧いてきました。

また、自分の話をしている時に先生に指摘していただいて、まだ起きてくること、湧いてくる感情に良い悪いの判断をしている自分に気付くことができました。
頭では分かっていたり、知識としては知っていても、まだ行動が伴っていないことがたくさんあるので、それをもっと生活に生かせるようになりたいと思いました。

 

☆ 久しぶりに熊本でくすのきに参加させていただきありがとうございました。やはり直接に皆さんの波動を感じながら、さらに今回は3人の子供達のエネルギーを感じることができたのは良い経験でした。
とくにSくんは偶然にも、いや必然か本日2才の誕生日を迎えて、皆でお祝いをしてあげて、いやSくんが皆を見守ってくれてお祝いしてくれているのかもしれないと思いました。
皆さんのお話の中から、そしてまた自分自身も映画を見て感じたこととして、組織の中で決められた体制に対して、それを変えることを諦めてしまっているというか、それを疑うことなく当然だと思ってしまっていることが、ままあるなということです。
自分自身が本当はどうしたらいいのか、どうしたいのか、諦めてしまっていることはないかを見直してみることは大変重要なことだと思いました。それが自分だけでなく組織全体にとっても大きく成長していくことに繋がっていくと思いました。

次に般若心経のお勉強から、まだ最後までいってないので途中までで感じていることですが、わずか262文字の般若心経の中にこれだけの深い意味が込められているということに感銘すると共に、ここまで解釈されている桑田二郎さんの才能に感謝したいと思いました。
改めて般若心経を唱える際に、今まで何気なく唱えていましたが、この解釈の内容を心に抱きながら唱えようと思いました。ありがとうございます。

 

☆ 久々のくすのきで皆さんに会えるのを楽しみにしてきました。皆さんが元気で毎日を向上心と気付きで過ごしていらっしゃることを聞かせていただき、私もパワーをいただきました。また今から前向きに頑張っていきます。

お話を聞かせていただいて、自分に再度言い聞かせたことがあります。いつもいつも感じることですが、非常に難しい感情出しです。自分を解放する手立てが感情出しです(私の場合)。物の考え方、習慣への執着心・・・そこに新しい風を入れる。今までのことに安心して慣れあっている事で新しい朝鮮をどこかで受け入れられない心!!そういった心に目を向け言葉にしてみる。そして自分の心に素直になることが、大事なのかな・・・と。心に素直に!!

般若心経の勉強について。精神性の高さ、魂の進化・・・などのことか、帰宅して勉強します。本日はまだ難しく、次回にじっくり勉強させていただきます。

 

☆ 今日はS君の誕生日で、抱っこさせてもらったが、何となく不思議な感覚があった。自分の子供を抱っこしていた頃の赤ちゃんを抱いた感覚ももちろんあったが、ボーとするような、意識の波が治まるような気持ちのよい感覚だった。
ありがとうございました。
さて今日は久々の参加であったが、皆様のスピーチは日常の中で感じる微妙な心の揺れが表現されており、確実に成長されているのを感じた。まさしく現象そのものに真の意味があるのではなく、現象が成長させてくれるのがよく感じられた。

「般若心経」に関しては、数週間前に、しばらく離れていたせいか暗誦できなかった。
そこで、再度本を読み返しながら唱えてみたが、このときも不思議な感覚があり、特に【・・・不増不滅・・・】のところで、身体にぞくぞくとの感覚があった。
日常ちょっとしたことが気になり、また人の眼が気になりと心が揺れ動いているが、そんなものは実相ではないんだよ、とあらためて教えてもらったような気がした。今日は途中までではあるが、あらためて勉強させてもらって、内容の深さを再確認させてもらった。
【黎明】の本の中に書いてある内容が、短い文の中に込められているのがよくわかる。自分を苦しめているのは「我意識」そのものであって、自分の外側に勝手に苦しみの現象を作っている。その意味をよく理解することで、自分自身をよく見つめる。
課題を認識するという認識を新たにして、日常の生活に臨んでいきたいと思う。有難うございました。

 

☆ 今日は桑田二郎さんの【漫画で悟れる般若心経】を先生が文章にしたものをテキストとして輪読したが、何となく感覚的に理解できたかなと思う位である。ただ思うのは、この現象世界を本物だと取り違えずに、普遍意識へ意識を向けて日常生活を送りたいと思う。
我意識という事で私もこの世に生まれて
(何度も)経験してきた数多くの苦の中で、そこにどっぷりとつかり、意識を上に向ける事すらしない、というのか知らない状態で我意識を膨らませてきた部分があったのではないかと思っている。
ただこの苦から逃げたい、解決したいと思って、この人生の中でいろいろな精神修養や宗教に足首突っ込んで、目に見えないけど確かな存在を求め続けて来た。現在、そういう団体等の色んな制約から離れ、自由な身になれた今、本当の自分探し、普遍意識への旅立ちが始まったのではないかと思う。

このテキストを読んで、今の自分に必要なのは、やっぱりもっと事あるごとに、感情だしをする事。
この表面に現れる自分はすべてではない。
もっと素晴らしい神に通じる存在を秘めているのだから、それを信じて自分をもっと愛し、周囲の人や物、事柄にも愛をもてる存在になりたいと思う。
進歩しているのかしていないのか分からないような日でも、きっと良い事になっていると希望をもって暮らそう!と思う。やっぱりいつでもどこでも、目に見えない大いなる存在に守られての毎日なのだと実感してしまう。

 

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    第3期 10回       『くすのき』感想文        2009年6月21日 


☆ 今日も皆さんのお話からたくさん学ばせていただきました。ありがとうございます。

Mちゃんはしっかり感情だしを行っていて、やってもやっても果てしなく続いてると感じると表現できるほど感情を見ているのがすごいと思いました。自分はまだ足踏みをしているだけでそのスタートラインにも十分に立っていない。

Mちゃんの“不安と恐れからそうならないように決断するのではなく、喜びを持って決断することが大事”という言葉は、大変参考になりました。

過去に何度も決断したといってずっとできていないのは、自分の決断が不安と恐れからそうならないように決断する。そういう負のイメージであったような気がします。

そうだ喜びなのだ。

そうしたらYさんのように、“楽しんですればよいという開放感がうれしい。自分を出せる自分がうれしい”と表現できるようになってすべてがうまく回りだすのだなと思いました。

そして今回の勉強“症状に耳を傾ける”からですが、一か月続いた咳の症状、そして今あらわれている大腸のポリープの症状といい私にぴったりの勉強でした。
この症状からもっともっとしっかり学んで成長しよう。成長することは喜びである。感情だしを喜んでやろう。仕事を喜んでやろう。何でも喜んでやろう。生きることは喜びである。ありがとうございました。

 

☆ 今回も来るまで、行きたくない気持ちが何度もわいてきて、何とか理由をつけて欠席の連絡を先生に入れようと思ったのですが、心の奥の本当の気持ちは行きたいと思っているので、なかなか連絡を入れないまま日が過ぎ、結果、今日も無事参加させていただくことが出来て良かったなと思いました。

今回もみなさんの色々な体験を聞かせていただいて、たくさんの気付きや感動、自分も頑張ろうという勇気を頂くことができました。

同じような経験でも、自分の時には気付けなかった事が、他の方の話を聞くことで気付くことができたり、分ったつもりでいた事が改めて理解することが出来たり、ひとりでは出来ないたくさんの学びを頂けて、本当にありがたいなぁと思いました。

そしてまた皆さんの話を聞きながら、感情を見ることと行動を起こすことは本当に大切だなと改めて思いました。自分の感情を見ていると、見たくない、知りたくない、認めたくない、いやな醜い感情がたくさん出てきてそんな自分がいやで、自分を責める気持ちがどんどん出てきて苦しくなって、この感情がなかったことに出来たら、楽になれるのにと思うのだけど、やっぱりそこをきちんと向き合って、今まで押し込めていた、気付かなかった、見ようとしなかった感情を少しずつでも出していきたいなと思いました。そしてその奥にある愛をいっぱい出して、表現できるようになりたいと思いました。

また、瞑想を通して、もっと自分の気持ち、自分の事、自分自身を大切にしようと思いました。そしてもっと自分を信じて、前向きに明るい気持ちで行動を起こしたいと思いました。

 

☆ 今日のくすのきは、参加人数が少なかったのですが、皆さんのお話は、自分も同じように感じ、苦しんでいたこともあり、とても深く聞き入ることが出来ました。

現在(今、この時)、苦しみ悩んでいることも、先(未来)の私から見るときっと、“何であの時は苦しかったんだろうな”思えることなのかもしれません。皆さんの話を聞きながら、過去の私に思いをはせ、今の自分があのときよりも進んでいるなぁと感じられたことは、私にとって大きな成長であり、気付きだと思います。

またYさんは、家のこと、ダンナさんのことをしながら、自分の好きなことをするエネルギーあふれる人だなと感心したのですが、それぞれの夫婦、家族の形を見せてもらった気がします。

また、Uさんにいたっては、今日の“病気の気持ち”や“症状の気持ち”を実践されており、そこから学べる多くのことは私にはまだ考えつかないところにあるかと思いますが、ご自身の気持ちを知ることで、私たちにも仮想体験させてもらっているのだと思います。

先生がよく言われるように“良い”“悪い”ではなく、その現象から“何を学びどう行動するか”今後も自分によく言い聞かせ、忘れずに過ごしていきたいです。

 

☆ いつもありがとうございます。今日も≪れいめい≫【くすのき】に来れることがとても嬉しく、皆さんに会えること!そして貴重な話を聴かせて貰えることに感謝しています。また本日も、改めてそうだなぁ〜と沢山の共感をさせられました。

素直な心。私には夫婦関係。家族とのあり方として、夫がいるのに相談事を外へ(実家の母だったり)して、夫を無視していた、相談事を外にしていた事で、夫にも辛い思いをさせていたこと(・・・その事実には気付けず、辛い思いをしているのは私よ!・・・)と、気持ちに余裕がなく、自分の事に執着していました。

今も色々な出来事で自分で事を進めていきますが、夫には声をかけています。(そこが大事だと言うこと)を教えていただきました。それに対して、相手がどう反応しようと・・・。そしてこの事に気付かせていただいた事に感謝をしています。

“病気の気持ち”“症状の言い分”では、・・症状を病と言う捉え方ではなく、いかに自分へのメッセージ(大切な何かに気付くように私達を促してくれているものだという事)を学ばせていただきました。自分の身体にももっと気を配り、症状の声を聴いていきます。

先生、皆様ありがとうございました。

 

☆ 体験発表の中で「〜ねばならない」「〜しなきゃならない」等の言葉が沢山出てきて、まだまだ自分を縛る、決めつける心が強いなぁと思った。

以前よりも自分の気持ちを見れるようになってきたと思う。良くない事は思ってはいけない、と思わないようにしてきた事が本当の自分に背を向け知らんぷりして本当の自分を傷つけ、成長を妨げて来たんだということが解って良かった。自分の感情を認めてやることが出来るようになったことは、自分にとって素晴らしい変化だと思う。

感情を認めて、フーっとその感情を自分の中から出して、光に帰す練習をしている段階だが、その方法を学べた事は、自分の人生に大きな方向転換をもたらしてくれたと思う。今日はその光を対象とする相手の方に投げかける方法を改めて教えて頂く事が出来て、自分の人生のカルマの解決、心のほどき、気付きに繋げることが出来ると思うと、又一つ道が大きく開けた気がしている。

肉体の働き以上に心の働きはパワーが偉大なり。心の持ち方、思い方を明るく前向きにする為にも感情出しをしていこう!と思う。

テキストの【病気の言い分や症状の気持ちを聞く】ミンデルの文章を輪読して、セッションの中でやっている事と同じだと思った。これを感情出しと同じように自分で出来るようになれたらいいなと思っている。自分と周囲との外応にもっと敏感に気付ける自分になりたいと思う。

 


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    第3期 9回       『くすのき』感想文        2009年5月10日 


☆ 今日のMさんのお話を聞いて、最近見た本のセリフで「相手は自分を写す鏡であり、相手の言動や行動は自分が決めているのである」というのがあったのを思い出しました。幾度となく先生に言われてきたことではありましたが、自分の気持ちや言葉一つで相手の出方が変わるということを改めて感じさせていただきました。その時、最近の私は家族に対して誠意のある言葉を伝えていたのか?と反省させられました。

相手に対してイライラするだけではなく、自分が感じている気持ちを、感情を抜いて伝えられるように、もう一度見つめなおしてみたいです。家族ではなく部下に対しての接し方を変えられた・・・(それによって状況が変わった)Mさんは、本当に素晴らしいと思えました。

また、Mちゃんの話を聞き、自分が父親に対しての感情があまり湧いてこないことにも気付きました。そのことに対して自分に驚きました。父との関係を考えることが近々必要になるのかなと考えています。

Mちゃん親子は遅れてもいつもちゃんと参加し、なおかつ、自分の気持ちを素直に言えるところが素晴らしいと思います。本当の気持ちを伝えて、お母さんはそれをちゃんと受け止める覚悟があり、逃げない強さを持っているんだなぁと思いました。

私は妻・娘・妹としてどこか表面的に“良い子”でありたい気持ちがあり、本音を言わないところが今でもあります。でも、今日の全体を通して、本当に必要なことや相手を思うことが何かを触れられた気がします。 夫婦・親子・姉妹・自分と他人など全ての人たちとの関わりを良くする為に、今日は自分を見直す、よい機会になったと思います。

◎人生は長く生きればよいと言うものではなく、どう生きたかが大切なんだ!→この言葉を肝に銘じておきます。

 

☆ 少しずつですが、自分のことを素直に皆さんの前で話せるようになれてきて嬉しく思いました。まだまだ話すことは苦手で、緊張もするし、話しながら自分が何を言いたいのか分らなくなってきて、頭が混乱することもあるけれど、それでもいいのだと、少し気持ちにゆとりを持って話せるようになってきていると感じました。

いつも【くすのき】で自分の体験を話させていただくときは、感情がどんどんあふれてきて、なかなか冷静には話せないけれど、それでもそんな私の話をただ聞いてくださる皆さんがいることがとてもありがたいなと感じました。今まで、自分のことは言いたくないし、知られたくないと思っていたけど、それは本心ではなく、その事によって、相手が自分をどう思うかが恐くて話せなかったのであって、本当は、心の奥には聞いてほしい、知ってほしいと言う気持ちがあったのだと気付かされました。

れいめいにご縁を頂いてから自分の感情と向き合うようになり、気付かなかった、見ようとしなかった本当の自分の気持ちに気付かせていただきました。これからもしっかり自分の感情と向き合って、少しずつでも開放していきたいなと思いました。

また、皆さんの話を聞いて、やはり“実践する”と“行動に移す”ことがとても大事だなと思いました。いつも頭で考えすぎて、動けなくなってしまうので、小さなことでも“行動に移す”ということを大事にしていきたいと思いました。

出来ない自分を責めるのではなく、出来たときの自分を褒めながら、前向きに頑張っていきたいと思いました。

 

☆ 今日も皆さんの体験を聞かせていただいて、全て自分のことに置き換えて同意したり、反省したりする自分がいた。ここでの話は自分にとって1つ1つ貴重なものであると思う。

Yさんの家の中、身の周りの物を整理処分する話に対して、私自身もずっと物を手放したいと思いつつなかなかはかどらない事に悩んでいたので、Yさんに対して先生の言われる言葉に解決の糸口をつかめた気がした。

物を捨てる(手放す)作業は、それにまつわる自分の感情を見て放す作業である事(だからさっさと出来ないのもあるな、と納得!)。 自分を生かす為に要らない物を1つずつ感謝の気持ちを持って、光に返していこうと思った。物さんにも感情があるから殺さず、光に返して転生させるようにしようと思う。

テキストの「宗教」<黎明より>を読みながら、今まで自分が所属していた所の様子と文章を比較していたが、所属していた時に、その宗教の教えが真理だと思い、組織活動の中での人々に矛盾を感じて、矛盾を感じる自分が間違っていると、自分を責めて等、色々悩みながらもそこが絶対だと思っていた頃から、勇気を出して自分の中で組織と決別出来た事は感謝です。

今はそこで学んだ良い所を生活に生かし、自由なひとりの人間になりたいと思っている。そのためにはずっと押し殺してきた自分の感情を、もう一度見つめ直して、出して、光に返すことを心掛けて実行したいと思う。

【くすのき】に来る日が近づくと、いろいろな邪念が湧いたりして、来る気が萎えたりするけど、参加できて、この感想文を書いているときは、いつもやっぱり来れて良かったと喜んでいる自分がいる。 本当に有りがたい事です。

 

☆ 今日は朝から久々にイライラして子供達を怒鳴ってしまい、「今私はとても悪い状態だ・・・」と思いながらこちらに伺いました。心の状態は勿論というか、心に引っ張られて身体も重い気が・・・。行きたくない気もするけど、行かなかったらもっとキツいだろう・・・と思いながら、朝から準備したのですが、重いはずの身体なのに、お弁当の準備等がいつもより早く出来たりして、成長した面(動ける自分)と未熟な面(怒鳴ってしまう自分)を感じて、何だか不思議な気持ちがしました。 (「怒鳴ってしまう自分」というのは裏を返せば、2階に寝ている夫に「子供達の準備の声かけを手伝って」と言いたくて、言えない自分なのでした。状態が悪くなると素直に物が言えなくなるし、そのことにも気づきにくくなるようです)

今日は「宗教」や「生命」について読んだり話したりすることが多かったと思うのですが、結局のところ「どういう見方をするか?」が大事なんだと思いました。人間一人一人が光の存在であること、目に見える部分だけが生命ではないこと。そういう大きな大きな、ある意味では研ぎ澄まされた観点でもって、ブレずに事物をとらえていけば、もっと心は楽になるのかな、と思いました。

 

☆ ごめんなさい。皆さんの話を聞かせていただきながら、ず〜と眠くて眠くて寝ていました。

自分の感情を見るということの大切さ、そして難しさ、めんどくささもあったりして・・・の中で、最近、自分の感情を素直に観れるようになった喜びを感じています。Mさんの子供の頃の抑えていた感情を今観れるようになり、受け入れられ、それによって自分の喜びとなっていることが、ああ、そうなんだよね!!って自分の気持ちを、感情を観て直に心を聞き、言葉にすることが、こんなにも悦ばしく、とてもとてもありがたくて、嬉しくて、この感情をもっと良い表現ができたらと思いますが思い浮かびません。・・・とにかくこの開放感が満足ですね。だからMさんのことがとてもよく分るし、本当に嬉しく思いました。

そして光の伝達者となって、周囲の人たちに(ヒントや刺激、心の平安等)愛を伝えられたらと思います。その為には握り締めているものを一つ一つ開放していき、もっともっと己を見つめて意識向上して自分を変えていこうと、そして喜びを感じていきます。

今日も色々と学ばせていただき、心から感謝いたします。ありがとうございます。 

 

☆ 今日も皆さんのお話から、たくさんのことを学ばせていただきました。ありがとうございます。

自分の親に対して、私の場合も自分の思いを表面に出せないで、また出さないほうが良いと思うところがあって、それを元の妻にも求めているところがあって、つらい思いをさせたなぁとあらためて思いました。親に対する感謝の念と、自分を出さないこと、つまり、親の期待に応えることを一緒にしてしまっているところがありました。今でもまだ完全に消化できていないところがあるような気がして、しっかり感情出しを行ないたいと思います。

それから、部屋の片付けについてですが、私の場合も実家にまだ整理できていない自分の持ち物がたくさんあって、親に任せてしまっていましたが、何か心に引っかかるところがあってスッキリしないと感じていました。自分で機会を見つけてきちんと整理したいと思います。

そして、長く生きることが重要ではなく、どう生きるかが重要というテーマについてですが、頭では解っているつもりでも、実際には、明日があるという思いで生きていることが多く、今日やることを明日へ、明後日へと伸ばしてしまっていることを改めて感じました。もう一度気を引き締めて、、今ここをいきたいと思います。

たくさんの気付きを与えていただいてありがとうございます。  

 


 

         第3期 8回       『くすのき』感想文        2009年4月12日 


☆ 今日のK親子、Kちゃんの話を聞いて、この世に生を受けたその理由を見せて頂いたような気がした。人と人との関係、目の前に起きていることの意味、苦労や苦しみの意味が集約されているように感じた。

自分の体験に照らし合わせてみれば、自分の身に起きている事も全て同じ意味をもっていることになる。これまでの辛い経験やこれから起きるであろう困難も、自分の感情の歪みを取る為に存在していることになる。あたかもシワや塊がある布を、きれいにアイロンをかけたりするように布にイメージが湧いた。

この様に考えると「善と悪」の中に出てきたように、現象の中には善悪は存在しないものになる。私たちはよく日常生活の中で、他人の言動に対して善し悪しを判断することがある。ある目的に向かった行動の中で、その方向からズレる言動を排除することを行なうが、この過程の中で個人的な感情や私的な心に支配されてしまうと、まさしく迷いの中に入り込んでしまうのだと思った。

これから、これまで以上の人たちと仕事をしていくことになるが、今日感じた感覚を大事に日頃の言動に注意を払っていきたいと思う。明日からの仕事に生かしていきます。

ありがとうございました。

 

☆ 今日は子連れの参加でとてもにぎやかな≪くすのき≫になりました。お姉ちゃん、お兄ちゃんのお陰で、楽しく過ごせたようでした。私も子守りをしながらだとイライラしてついつい怒鳴ってしまうのですが、今日は気持ちの上で、比較的穏やかに過ごせたと思います。感謝です。

現在の私の課題である自分の気持ちや言葉を相手に伝えるということを実行する必要があるんだと再確認させられました。自分で話していた課題が、午後の読み込みの中でも出てきたことには驚かされましたが、確かに「これでもか!」というくらいに現象は起きてくるので、今日を境に決心したいと思います。

また、久しぶりに自分の感情を外に吐き出し、表現することが出来て、スッキリしました。ただ話を聞いてもらえる、受け入れてくれる、皆さんのお陰で自分自身が救われたように思います。

皆さんのように、自分も相手を受け入れる存在になりたいと思います。



☆ 今回も皆さんのお話からたくさんのことを学ばせていただきました。

まず一つ目はホメオパシーのレメディについて。これまでは、体の具合が悪いときはホメオパシーを自分の意志で飲んでいたけれど感情面に対しては、勧められるままに飲んでいて自分の意志で積極的に飲んでいなかったので、感情面に対してもこれから飲んでいこうと思いました。

次に、皆さんが自分の感情をしっかりと感じそしてその感情を素直に表現していらっしゃる姿を見させていただき、自分にはこれが足りないなということを痛感させていただきました。自分の感情に対してしっかりと向き合っていきたいと思いました。

そして言いたいことをきっぱりと言うことの重要性について、これは皆さんのお話に出てきて今日のテキストにも表現されていていました。 自分の場合も曖昧にして自分の意思をはっきりと表現できずに誤解を生じることがありました。はっきりと言うためには判断と決意が必要だと思いました。

最後に感情出しの重要性について。 ほどいて、ほどいてひっかかりを外していく。現象から学ぶ。現象から学ぶ。自分の感情を見なくなったら進まない。やる気があるから現象が出てくる。やる気があることは素晴らしい。

このように言われて耳が痛く感じました。自分の場合はやる気が不足していることを痛感しました。これでは先へ進まないのも当然だなと思いました。 「ほどいて、ほどいてひっかかりを外していく。現象から学ぶ。現象から学ぶ。自分の感情を見なくなったら進まない。やる気があるから現象が出てくる。やる気があることは素晴らしい。」

この言葉をかみしめて感情だしをしっかりと行い現象から学ぶことをしっかりとやっていきたいと思いました。 そして自分の身の回りにいる人に対して光の投げかけを実践していきたいと思いました。  今日はたくさん学ばせていただきありがとうございました。

 

 ☆ 前回のくすのきから今日までのお話は、私自身は先日セッションで気付いたことをお話させていただき、自分の体験としては特段に新しい気付きはなかったのですが、皆さんのお話を伺ってたくさんの気付きをいただき「まるで何人分もの人生をいっぺんに送っているようだなぁ!」とあらためて、このような集まりにご縁をいただいてありがたいと思いました。

また、自分がした話の中では新しい気付きがなかったのですが、先生から指摘していただいて、自分が今日知らずに取っていた行動(あえてしていなかった行動)が、先日のセッションで得られた気付き『自分(の頑張り)を認めてあげよう』、そして他人の評価等を気にせず、やることをやっていこう』を生かせてなかったことに気付きました。

子供に対して、悪いと思ったときに、声をかける(叱る)だけではなく、頑張ってるな、お利口さんだなと思った時にも声をかける(誉める)、他人がそれをどう思うのかは気にせずに。

“出来て当たり前”の減点評価を自分自身が嫌だなぁ〜と思っているのに、同じことをしてたんだ・・・ショックも受けましたが、解決法(素直に言葉にして伝えること)も同時に学んだので、これから実践していきたいです。

輪読では「めんどくさいって何?」の余談の部分が、「成長とは、我慢せずに生きられるように自分が変化すること」が心に響きました。以前の私は「我慢して」「せんといかんことをする」のが成長(大人)と思っていました。しかし今日の輪読にも出たし、先日のセッションで、同じ行動をするのでも、「せんといかんからする」と「自分がしたいからする」という意識のもち方、言葉の表現の仕方で全くの別物であることを学んだので、これを日常に生かしたいと思います。

 

☆ 仲間の体験談を聞いていつも思うのだけれど、人の話だけれども全部人事ではなく、じぶんの心の中にある物を代弁してもらっているようにも感じる。皆とは肉体的には別々なのだけれど、深層部分では繋がっていると思う。今、仲間の話は、全て自分に気付きを与えてくれる貴重なものとなっている。

自分の身体の中を見つめるイメージ作業を行なって、ここ近来自分の中で、物を捨てるということを意識しながら、思い切って出来ずにいる状態を身体の方の意識が表現してくれていて、やっぱりと思った。

にっちもさっちも行かない窮屈感や、死にそうなくらいの圧迫感、もうどうにかしてという叫びに、掛けてあげた言葉は「捨てるから!」のひと言しか思い浮かばなかった。その言葉かけに『早くして!』といいながら光に還ってくれ、虹色のシャワーとなって私に降り注いでくれた時、私の心の中は、持たないことの清々しさと自由さを手に入れた喜びで満たされた。今の気持ちを忘れることなく、自分の中から物はもちろんだが、精神的な事まで必要以上の物は持たない生活を送れるよう心掛けて実行していきたいと思う。

テキストの中で「善悪」についての文章を読み、今の世の中で通用している善悪となる基準は、必ずしも正しくないというのをまた改めて実感した。日常生活の中で自分がややもすれば陥りやすいワナに落ち込まないようにしたいと思う。童話「リトルトリー」を読んでみたいと思った。

先生のお話で、やっぱり自分の感情を見つめ、出して、光に返していくことが本当に大切で、日常生活の中でもっと実践していきたいと思う。

起きてくる事柄、そして相手は自分の中に在る物を気付かせてくれるキーパーソンということを肝に銘じて、その場の感情に振り回される事なく見つめ、出して光へ返すことを一つでも多く実行して、自分を生長させていきたいと思う。

「怒る」について心当たりが多くあり、もう一度テキストを読み、上手なやり方を身に付けたいと思う。

 

☆ 改めて感じたこと。沸いてきた感情を感じ受け止め、自分を解放していくことの大事さ!!目の前の現象に惑わされないこと、自分の心の中に在るものを投影しているだけだという事!を理解すること。

ただいい判断というもの・・・あらゆる観念を手放した透明無垢の状態にあるときには、普遍意識の表現が自然に現れてくる・・・と黎明の本の中には書いてあります。

私もそうなれるように日々己を知り、開放していき、前向きに頑張ります。

そして≪くすのき≫の皆さんと共に、自分の握り締めているものを手放す悦びを感じられることに感謝しています。

ありがとうございます。  

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         第3期 7回       『くすのき』感想文        2009年3月15日 


☆ 今回も皆さんに貴重なお話をたくさん聞かせていただきありがとうございました。

周囲を気にし自分をよく見せようとしている自分がいることに気付かせていただいたこと。 相手に対ししっかりと向き合ってお話を聞いてあげることの重要性。相手のためにやってあげるのではなく自分がやることを喜びそしてその喜びを相手と共有するということの重要性を教えていただきました。 ありがとうございます。

そして『黎明』の≪チャネリング≫から

今回宗教に勧誘されるという経験をしました。「黎明」の中で「組織的なエネルギーが絡んでいると厄介な事態になることがほとんどで大きな混乱を招くことを覚悟していただきたい」という説明がありましたが、中学の同級生に対するよしみで深みにはまってしまいそうでしたが深くかかわる前に思いとどまらせていただきありがとうございます。

自分の意志を強く持つことが必要であることを強く感じました。

そしてホメオパシーの勉強から、ホメオパシーはヒプノのお勉強と非常に似ているところがあることを感じました。  
わいてきた感情、あらわれた症状をそのままにせずに感情をしっかり見て深い所を出していく作業とあらわれた症状を心の中までさかのぼってレメディでしっかり出し切っていくことはよく似ていてこれが我々人間に本当に必要なことなんだろうとあらためて思いました。



☆ 今回の『くすのき』は、いつも以上に少人数だったせいか、他の方のお話をいつも以上に身近に、自分のものとして聞くことが出来たように思います。
今回もいろいろ学ばせていただき、ありがとうございました。

また自分のこともその時々に起きる事柄(お試し)への対応が、如何にそのときの自分の状態を反映しているか、感情は感情で認めてあげて、感情的にならずに対応することの大切さを再確認することが出来ました。
今回は『くすのき』に対するテンションが低目で、正直「行かなくても・・・」という思いがよぎらないでもなかったのですが、あらためて「来てよかったなぁ」と思います。

午後の部の最初の瞑想で、花畑に行きました。
そこで花から
“自分達は天に向かって伸び、花開くことで本来の自分を生きている(愛を表現している)あなた達(人間)もそれぞれ独自に備えている花を咲かせなさいよ”
というメッセージをもらいました。

それは、午前中に話した子供達との関わり方(ちゃんと向き合って受けとめてあげることで、安心して自分の道を歩いていける)や、午後に皆で読んだホメオパシーからの本の抜粋“病気になるのは本来の生き方とずれている”という言葉にも重なって(瞑想の時のイメージでは人間は、独自の花を備えていながら、何かに抑えられていて歪み、本来の状態では花咲いていない感じ)、生き方について大変重要なことを示してもらったなぁと感じます。

カエルカードも引かせていただいたら、“どういう生き方をしたいの?他人の真似ではなく・・・”と出たので、自分も他人も花咲かせられるように出来たら素敵だと思います。



☆ 今回は少人数で、いろいろな話を聞かせていただき、いつもと一味違うよさを感じることが出来ました。

さて、今日の瞑想で感じた「人間社会」とその深層の「本質的な世界」は、今日【黎明】を読んだ時に「自我意識」と「普遍意識」ではなかったのかと思った。改めて≪チャネリング≫の章を読んでみると、今の自分がいかに「自我意識」に支配されているか、言い方を換えれば「自我意識」を発せざるを得ない環境にあるのか、さらには愛一元の状態から遠ざかっているのではと考えざるを得なかった。

不平不満を感じざるを得ない日常生活の中で、いつしか不平不満を言っている自分に気付いてはいたが、今日改めて考えてみると、この現実の中で、いかに愛一元でいられるのかを試されているのだと気付かされた。

カエルカードで出てきた「機会」という文字は、目の前の現実が、自分が本当に成長できる「機会」であることを教えてくれたのだと思う。
このお試しに落ちない様、この成長の「機会」を逃さぬ様、現実の見方に細心の注意を払っていきたい。

それから、ホメオパシーにはこれまで少し距離を置いている状態であったが、改めて生命というものに対して本質的な存在であることが理解できた。
これまで「外部のものに頼る事は良くない」という観念にとらわれていて、ホメオパシーに対する抵抗があった様に思う(※効果を体感しているにもかかわらず)
こだわりをひとつ開放し、素直に委ねていきたいと思う。
今日もたくさん気付くことが出来ました。
有難うございました。



☆ 自分と相手との対話・・・・何を聞いてほしいのか?・・・何をやってほしいのか?・・・・
聞いているようであり、相手から欲求されることに対して、、自分的にはちゃんと対応しているつもりでも、実は自分の心の中にあるものを優先に、うわべでしていることを相手に読まれている?!ことで、その対応の仕方によって自分に返ってくる。

現象に揺れる自分がいるということを知り、正面から向かい合うことが出来るように、自分に気付き、余裕を持って生活できるようにしていきたい。

≪チャネリング≫を勉強して、『日常の生活で様々な現象に否定的な想念を持ったりすることがあった場合等、マントラを唱えて否定的な想念が現象化する前に打ち消し、ヴァイブレーションを高めていき、自分にも否定的な波動を受信する要素がなければ、誰かからの被害をこうむることはないという自然法則』
を改めて学び、日々の生活の中で、己を知り、気付き、心で想い言葉にして、行為する。そして、ニコニコと笑顔でいられる日々を実践していきたいと強く感じた。
皆様ありがとうございました。


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         第3期 6回       『くすのき』感想文        2009年2月15日 


☆ 今日皆さんのお話を聞きながら、今更ですが、自分と共感することが多く、納得しながら聞いていました。

責任感の強い方だからこそ感じる怒りや(会社にとってはプラスになっていますが…)、人の眼が気になる方のお話は、とても解る気がしました。また、子供の話を聞かずに感情で叱ったら、10円貯金をするお話は、気持ちを見直すひとつのアイデアとして、やってみようと思うくらい、自分でも怒りすぎているなぁと考えさせられました。

午後のワークでは、もともと書くことが苦手なので、頭で一生懸命に難しく考えて書いており、先生に注意されてから初めて、何事も楽しんで書くことから始めてみようと思いました。

自分の心を楽しんで表現する事が、これから先の私には必要なことと思います。

 

☆ 皆さんのスピーチを聞いていて、それぞれがそれぞれにふさわしい場面で、それぞれにふさわしい学びをされているのだなぁと思いました。そういう意味で、自分の今置かれている場面も、自分に最も必要な場面であるのだなぁと思いました。

今日のワークをしている時に、全ての言葉が自分と他人との分離意識から発していると感じながら書いていました。しかし、最後の瞑想の時に、そうではなく全体との一体感こそが本来目指すべき方向性であることを改めて再確認させて頂きました。

そういう意味で今置かれている場合を振り返って見ると、分離意識を強く感じざるを得ない状況であり、本当に“お試し”の良い機会を与えられているのだと思います。

“お試し”をクリアすることに意識を集中し、ぜひ克服したいと思います。大事なことを忘れかけていました。明日から、また厳しい環境が続くことは予想されますが、自分の進むべき方向をしっかり見つめ、3次元の世界で表現していきたいと思います。

有難うございました。

 

☆ 潜在意識と潜在意識のギャップの開放をしました。

自分自身に“許可を与える”作業をしたのですが、自分に禁止令を出している事柄は出ても、それを解く方法が上手く出て来ませんでした。ポジティブに自分を解放できずに、どちらかといえばネガティブなことになってしまいました。

自分の中に迷いを抱えていると、先が見えず、ネガティブな方向へと気持ちが向いていくようです。

最後に“自分に許可しさえすればどんな人間にもなれます”とありましたが、もう少しじっくりと自分に許可を与えられていない所ときちんと向き合いたいと思いました。


 毎回皆さんのお話が聞けて経験を共有できてともに成長させていただきありがとうございます。

今回のワークはできない自分自身に許可を与えるワークでした。

できない自分自身に対し、なになにしてもいいんだよと許可を与える方法でしたが自分のなりたい姿になかなか結び付かずうまく表現できなかったような気がします。

とくに魂次元の目覚め、つまりいつも瞬間瞬間に光の方向を向いていること、そしてそれを自分が意識し目覚めていることが自分でできないと思っていることに対して、いつも瞬間瞬間に光の方向を向いていていいんだよ。そしてそれを自分が意識し目覚めていていいんだよという許可の表現をしましたが、アファーメーションとの違いがいまひとつはっきりせず、もっと具体的な表現の方法があったような気がしました。

最後の瞑想で出てきたのはできない自分と出来ている自分をつなぐかぎはゆるぎない決心であると不動明王様に教えていただきました。

やはり自分には決心が必要であると思いました。ありがとうございます。



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         第3期 4回       『くすのき』感想文        2008年12月14日 


 

☆ 午前中は感情というものをあらためて見つめるお話を聞かせていただきました。

最近は“感情が揺れる”こともなく、何事も地を這うような感覚を過ごしていましたが、自分の気持ち(思い)を出せることの素晴らしさや必要性を、お話を聞きながら思い、ただ出す思い(感情)は、お互いにとって受け入れられないものになるということを、改めて思い知らされました。

自分の気持ちをきちんと感じること(感情のみをぶつけるのではなく)をもう一度見ていきたいと思います。

午後のワークでは、思い出として、子供の頃の楽しくなかった時代を思いだしましたが、ただただ抱きしめて「大丈夫だよ」と言ったそのひと言で絶大な“安心感”を得られた感覚はとても温かかったです。

自分の中では障害のある二男の事が人生で一番印象に残ると思いましたが、小さい頃の出来事がこんなにもくっついてくるものなのだと知りました。

それでも小さかった頃の私の中に安心感を与えられ、これから先、同じような出来事があってもあの頃とは違う対応が出来るだろうと思います。
   ・・・・・果てしなく道は続いて見えるけど、この両手は光を抱ける・・・・

☆ いつもありがとうございます。

皆さんの話を聞かせていただき頑張っておられるなぁ、又、自分と同じ揺れておられる話で、だんだんと自分のネガティブな心に変化があることが見えてきました。

日常の生活で、相手から言われた言葉に対し、余裕のない自分の言葉で相手を怒らせるのではないか・・・と感じ、もっと発する言葉に意識をし、己に問うことが大事だと改めて感じさせられました。

又、トイレ掃除のこと、自宅はもちろん、公共のトイレ掃除を勇気をもって挑戦され出来たとのこと!!すばらしい!!

出来るか?・・・今は…やれるようにします。

嫉妬の心理では、嫉妬と賞賛は同じエネルギーということを学ばせていだきました。賞賛のエネルギーで創造活用していこうと思います。

そして、感謝と言葉、問うて日々感情を出して、己を見つめていきたいと思いました。

   

☆ 今回も横浜からTV電話で参加させていただきました。

今回はTV電話の調子が良くてカメラの延長ケーブルもあって皆様の顔を間近で拝見できその場にいるかのような感覚で皆様の感情をリアルに感じさせていただきました。ありがとうございました。

特に毎回出てきますが感情を見つめることの大切さとそして運個が金運につながる話はためになりました。

過去から学びなおすワークでは今になって思えば愛を充分に出すことができなかった亡くなった前の妻の事が出てきました。前の妻は、私と結婚して「病気をしていい事がなかった」といって幸せを感じることがなかったように亡くなっていきました。

フィルムを巻き戻してあらためていっぱい愛してあげたら、亡くなる前に「結婚して、一緒に暮らしてくれてありがとう」という言葉を残して幸せな気持ちで亡くなっていった前の妻がいました。

おかげで私の気持ちも穏やかになりました。私に愛し方を教えてくれたように感じます。

これから今の奥さんに愛の出し方を実践していきたいと思います。

ありがとうございます。

☆ 我々は個であるがゆえにいろいろな経験をしている。また個であるがゆえに自我意識があり、その自我意識に支配され、結果的に苦しみ、自分自身を責めることも多々経験している。

最終的に普遍意識に到達する為に、またいろいろなことを学ぶために、自我意識が存在することは理解できるが、如何、自我でならなければならないのかは理解できていない。

今日の皆さんの話を聞いていると、個(自我)であるばかりに、いろいろな苦しい経験があり、心に傷を負っているように見える。

普遍意識を顕現するための最短の手段は、別にあってもいいのでは・・・と最近時々思う。これを考えても仕方のないことでもあるが・・・。

今の時点での私の結論は「日常の生活を楽しむこと」これは単に楽しいことをするという意味ではなく、深く味わうことだと考えている。

又一方では、カルマ・ヨガの実践のとして、一つ一つの事をていねいに行おうと意識しているが、そうすると他人の雑な言動が目に付いて、逆に自我意識が増徴しているようにも感じている。しかし、これらも深く味わうことでもいいのかなとも思う。

今日のキーワードの嫉妬や賞賛も、結局は深く味わった上での両側面なのかと思った。

個であるがゆえに個を楽しむ。

自分を非難したり、後悔したりしないで、自分を客観視しながら見つめていこうと思います。

ありがとうございました。

 

☆ 今回も“くすのき”の場を借りて、参加者の皆さんと共感し合えて、とても幸せでした。世間一般の多くからすれば、「へ〜〜」で終わってしまうこと、大したことではないとされること・・・その一つ一つが私達にそっと教えてくれていること、それに気付いて話し合える場があって幸せだなぁ〜とあらためて感じることが出来ました。ありがとうございます。

私個人としては、同じメッセージが形を変え、立て続けに3度届けられたことが、この1ヶ月間の中での興味深いことでした。浅く見れば最近の行動についての反省の促しであり、深くは人生のテーマ(目的と使命、潜在的可能性)でもあり・・・ありがたいことです。

午後イチはワークで、何度か自分でも感情出しをした20年以上前の過去の“こうすればよかった”と思うことが出てきました。それはこれからの生き方(人との関わり方)にもつながる大事なことでした。結局のところ、他人の目にどう映るかではなくて、自分の納得がいくかどうかが、悔いのない生き方のポイントだなとあらためて感じました。

午後の読み物が「嫉妬の心理」(他人に向けて破壊的に使うのではなく、自分に向けて創造的に使えばよいという話)で、またこの繋がりが面白いなぁと感じました。

 

☆ 今日は、今気になっている思い出を書き出して、それを自分がこうしたかった、こうしてほしかった事に書き換えるという事をしました。

思い出を書き出して誘導瞑想に入ると、今まで押し殺してきた感情が一気に噴出して、涙が止まらなくなりました。このワークの意図するところとは少しずれているのではないかと思いながらも、湧いてくる感情を抑えることが出来ず、皆さんの前で話しました。

人前で自分の事を話すのが苦手な私は、自分の感情を話すなどなかなか出来ずにいました。今日は話せてすっきりでした。

前日カードを引いたら「自分の思ったことを言葉に出す」というものでした。

そうか!思った事にそのまま蓋をしてしまわないで、口に出してみるといいのかと思ったところでした。

自然とそうしている人には解らないかもしれませんが、意外と湧いてきた感情を見ることなく、そのままにしている人が多いのではないかと思います。そして私のように口に出せなくなっている人も…。

自分の思いを言葉にできるようにこれからも努力します。 

 

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         第3期 3回       『くすのき』感想文        2008年11月9日 


  ☆ 今回自分の体験や感じたことを話しながら、自分自身あやふやだったものが、何だか少し整理されて、すっきりとした感じがした。

 私は子供の頃から、自分の事を表現する事が苦手で、作文や感想文が嫌いだった。いつも原稿用紙を前にしても言葉が出てこなくて、時間だけがどんどん過ぎていくことに焦りを感じ、またすらすらと書き始める周りと自分を比べては落ち込んでいた。「なぜ」自分は書けないんだろう。きっと無感情なんだ、無関心なんだ。そんな風に思っていた。

けれどその原因は自分自身の気持ちと向き合ってなかったからだという事にやっと気付くことができた。ずっと周りの目、周りの意見ばかりを気にして自分の気持ちを大切にしてこなかった。いつも後回しにして、ないがしろにしていた。

 そのせいで、いざ自分の気持ちに耳を傾けても、あまり感じることができなくなっていたのだ。

 これからはもっと自分自身の気持ちを大切にしていきたいと思った。小さなことでも、ちゃんと自分の気持ちを感じて、認めて、そしてその気持ちを素直に表現できるようになりたいと思った。      

 

☆ 左右に自分の短所と長所を置き並べて、それを先生の誘導に従って導いてもらった事で、短所も長所もお互い表裏一体の関係で切り離せない存在であることを確認できた。

両方を合わせて出てきたものは綺麗な黒く輝く黒曜石とハート型の大きな真珠になっていて美しい光を放っていた。

それを見て、自分の中の長所と短所と思っていたもの全て、いとしいものに思えてきた。浮かんできた言葉は、いつくしみなさい、共いつくしみなさい、と優しい愛情いっぱいの気持ちになれた。

大きな木に近づいて触れるイメージの時は、このところ、掻くありたい自分と現実の自分の食い違いに自己嫌悪していた私に、ゆったりと大きく優しい声で「頑張ってるね」と言われ思わず、「頑張ってない」と叫んでしまったけど、自分の苦手な、できない所ばかりにとらわれて責めるより、できる所、得意なところを認めて伸ばしていけばいいんだと諭されたとき、大きな幹の中に体半分以上入り込んで、大きな愛に包まれ癒されることができた。その言葉を忘れずにいたい。

二つのイメージに共通することは、この自分は善・好き、この自分は悪・嫌い・認めないと区別し、そしてできない悪と思う自分を良くしようと意識がとらわれていた事をはっきりと再認識させられた。

両方の自分がいて、私をもっと進歩向上させてくれているのだから、これからは両方の自分を認め、愛していきたいと思う。

『黎明』の地球の変容をテキストで勉強して、地球イベントの一大イベントの重要な時期に、地球人として重要なポイントに立たされているのだと思った。救いを待って助けてもらう例ではなく、地球のヴァイブレーションの向上に一役買う事のできる存在であると言う自覚を深め、日常生活の誇りを持って生きていきたいと思う。(黎明の文章に励まされた)

 

☆ 今日は自分の短所と長所をあげて、瞑想で左手に短所、右手に長所を乗せて感じた後、手のひらを合わせるという事をしました。

合わさった短所と長所は何も無くなって、花の香りがメッセージのように伝えられただけでした。私は短所は次々と沢山書けるのに、長所はなかなかかけないという状態でしたが、二つを合わせてみると、これでいいのかもしれないという気持ちになり、自分の短所を悲観する必要は何もないのだと思いました。

『黎明』の「地球の変容」の章では、転地異変や世界の情勢を見ても、地球も人も変わろうとしていると感じ、自分も変わっていこうと思いました。できるなら文中にあったように、自らが普遍意識を顕現して、地球のヴァイブレーションを上げる側に回り、あとに続く同胞がひとりでも多く未来の地球を表現の場とすることができるような、能動的な役割を果たしたいと思います。何も特別なことをしたり、修行をしたりすることではないので自分に気付いていく事で、人に愛をもって接する事ができるように心の浄化と身体の浄化を心がけていこうと思います。

 

☆ 今回も横浜からTV電話での参加となりました。

前半はTV電話の調子が悪く画像がうまく写りませんでしたが、電話ではっきりと皆さんの声が聞けていつも以上に皆さんの気持ちが伝わってきました。

今回の自分の短所と長所の勉強では、自分で意識していなかった自分のなかにいっぱいある短所、人に知られたくない所。そして自分の長所、意外といっぱい持っていた。人に知ってもらいたいこと等がいっぱい出てきました。そしてそれをすべて合わせて胸の中に入れると「これが自分なんだなあ。こんないっぱいの気持ちを持っていたんだなあ」というのがあらためて感じられてこの一つ一つの気持ちをもっと大事にしたいなと思いました。

それから「黎明:地球の変容」から、自分のいだく気持ち、感情が自分自身だけのものではなく地球全体、宇宙全体に影響を及ぼしているのだということつまりいい思いは全体を引き上げ悪い思いは全体を引っ張るということを改めて自覚するとともに宇宙全体を引き上げていこうという思いをもって日々、瞬間瞬間を生きていきたいと思いました。

ありがとうございました。

 

☆ だんだんと自分を掘り下げてみることが出来ている自分を発見でき、嬉しく思っています。今回の内容は少し恥かしく抵抗もありましたが、自分の感じた感覚を素直に話すことが出来てよかったです。

皆さんのスピーチを聞きながらも「そうそう、そうだよね」と共感する気持ちや、それに対して動く気持ちを見させて頂いて感謝しています。

今回のワークは、短所と長所でしたが、二つで一つだなぁと感じました。どちらも大切なのは「私」であること。マイナスは悪いものではなく、なくそうとするものではない、プラスとマイナスで一つであること。

『黎明』「地球の変容」の中での《自己の内なる神性に関心を持っている人であるならば……あとに続く同胞がひとりでも多く未来の地球を表現の場とすることが出来る役割を果たしたていただきたい》

その役割であることを自負して次の人へとバトンを渡して、つないでいきたいです。

 

☆ 毎回思うことですが、皆様のスピーチを通して、皆さまが確実に成長されていることを感じます。今日は特に自分の内側に深く深く、しかも緻密に感じておられるのだなと思いました。また顔の表情も何かが取れたように明るくなられた方も見られ、確実な変化が感じられます。素晴らしいことだと思います。

 さて、自分の短所(左手)と長所(右手)を胸の前で合わせると自分の生まれた頃の姿が出てきたのはどういう意味があるのだろうか?生まれたての姿は「自分のありのまま」を表していると感じた。「ありのまま」とは自分の全てであり、過去生をも含めた全てを包含しているのだと思った。要はこの「ありのまま」を受け入れ、このとき感じた、自分の人生への覚悟を決めて望んでいくことが大事なのだと思う。これからの生活の中でこの感覚を大切にしていきたい。

 ただ「全て」とは何か?《地球の変容》の中では『黎明』の読者である我々の役割に対して、記述してあったが、この役割に対して充分に理解できていないし、実践もできていないと思う。またこの文面を読みながら、日常の自分の生活の中で、反省させられる場面がいくつか思い出された。今感じている、微妙な感覚を感じながら普段の生活を眺めてみたいと思います。

 

☆ 久しぶりのくすのきでしたが、皆さんのお話が現在の私をすごく救ってくれたことが本当にありがたかったです。

子供が自分を出せる状況を作って上げられていたのか、抱き締めてあげるだけでどれだけ安心するのかを見せてもらえて気持ちを前向きに出来そうな気がします。

 短所・長所では、書きながら 短所=長所 だということがたくさん見えてきました。周りの気持ちを優先できるということは、即ち自分の意見がいえないとも取れますし、逆に周りの大切に思えると言う考え方のできますので、自分の考え方、周りからの見方で全く変わるので大変おもしろいと思いました。自分がネガティブ思考であれば、人の行動や言動を悪いほうにとってしまいますし、自分がポジティブ思考であれば、それが助言となり、救われた思いになれます。このことを肝に銘じてこれから先は生活していきたいと思います。またこのワークは、自分を見ることが大切ですね。前回も今回も内容はあまり書けず自分のことをまだ見ていないことが判りました。どんな気持ちや行動を取っているのかが、頭に浮かんでこないので、自分を出す練習もしていきたいと思います。

 



 

         第3期  2回       『くすのき』感想文        2008年10月19日 


☆ 皆様のスピーチを聞いていると、皆様が皆成長され、かつ緻密な意識状態に変化しておられるのを感じます。日常の一般的には些細な出来事に対して、深くかつ緻密な心の動きを抱かれ、そこに意味を感じられることは素晴らしいことだと感じました。
これからの自分の生活の中での心の持ち方にたいして今日もたくさんのヒントをもらうことができました。ありがとうございます。

それから今日は2回目の「右手と左手の会話」経験した。1回目の時は右手と左手が会話しながら進んでいったのに対し、左手が長々と回答(答え)を返してくれるという進み方が大きく異なりました。今日左手の答えの中には「捨てる】というキーワードが何度も出て来ました。立花大敬さんの文章の中にも同様の趣旨の言葉が見られました。どうやら本日の【くすのき】の私にとってのテーマはここにあったような気がします。
新しい仕事になり新しいメンバーと仕事するようになり、その仕事の意味は理解できるものの、その3次元的な制約に同時に不満を持っている自分を自覚しています。ただこの感覚は、過去の固定観や人に対する先入観で物事を見ていることに起因するものなのだと今日感じることができました。
大きな収穫だと思いましたが、明日からの日常の中で、今日得た感覚をきちんと表現すること、これが当面の課題と捉え、成長の糧にしていきたいと思います。

☆ 自分を見つめて、これまで勉強させていただいた感情を受け留め、その奥を見つめることで癒しをしていくのだということを再確認し、まだまだ癒されていない心の奥を見つめていきたいと思います。 何事も一歩踏み出すことで仏様に近づけるように努力してまいりたいと思いました。 また、祓い詞の解明で意味と知ることで尚一層こころがひきしめられました。

もっともっと色々な事に向かっていきます。

一緒に勉強させていただいている皆様の、日々の感情の想いを共感することで、自分の感情も見つめられそうだと納得し、先生のアドバイスを受けて自分もそうだと受け留めることができました。

ありがとうございました。  

    前日に心が揺れることがあったので、そのことをお話させていただきました。

先生から助言をいただいたことで気付き、感じたのは、“またか”ということでした。自分では気付いていなかったけど、なんと強固に親からの呪縛に囚われていることか。自由意志で行動しているつもりでも、親からのひと言に巧妙に縛られ、如何に私を主体とした柔軟性を欠いて行動していることか。親も意識的に縛ろうとしたわけではなく、私がその縛りの言葉と同じ次元にいなければ(同じ土俵にいなければ)追従することも、それに気付いて、心が揺れることもなかったのだ、と思うと、自分はまだまだだなぁと思いました。参加者の方々のお話を聞いて、自分も進歩しようと励まされました。親から子への好ましくない連鎖を切りたいと思います。

 午後の部の最初の瞑想でも、今思えば上述に関連することをメッセージで受け取りました。 もっともっと水の流れのように軟らかく、他者に流されるのではなく、主体として流れる、大きな流れを信()じてそれに乗る。“汝の欲することをなせ”(これはある小説の一文です)。しかし“汝とは?”(幾重にもかさなった層、破れて、より奥の層が見えている)もっと本質的なことをとらえられるようになりたいと思います。大変ありがたい言葉でした。

ワークで、“左手(潜在意識)と右手(顕在意識)の対話”をしましたが、以前にも経験していたのに、右手の出番を多くしてしまって、上滑りだったなぁと反省です。

その後皆で“個と全体”の話や“祓詞”について読みあわせをしました。日常思うことに“今、ここに生まれて、日本語が使える環境でよかったな〜”があるので、後者を読んでいる時にまた強く感じることが出来ました。そういう自分のバックグラウンドに感謝して、その気持ちを活かしたいと思いました。

ありがとうございました。

  

☆ 右手の質問に左手が答えて・・・のワークは、始めはやっぱり頭で考えてしまって書いていたけど、だんだんあまり考えずに、ただ思い浮かんできた言葉を書き出せるようになっていき、何を書いているのかよく判らなくなってきたけど、気持ちはもやもやしていたのが、なんだか少しすっきりしてきた。

自分を見つめることはやっぱり大切なことだと思った。ありのままの自分をまずは自分に対して出せるようになっていきたいと思った。

みなさんのお話を聞いていても、それぞれ自分の感情と向き合っておられて、すごいなぁと思いながら、自分も頑張って感情を見ていこうと思った。

 

 ☆ 今日は横浜からくすのきに参加させていただきました。パソコンを使ったTV電話でパソコンの画面を通してのTVくすのきになりました。仲間の方のパソコンを使わせていただき感謝しております。おかげさまで皆様の貴重な話を聞かせていただき、また今回も大きな刺激を与えていただき本当にありがとうございました。

自分自身と向き合うこと、自分の感情を見つめ感情だしを行うことの大切さを改めて感じさせていただきました。

右手と左手の会話で出てきた内容で、今この瞬間を光へ向かうのか影へ向かうのか。これは、われわれ誰もが皆、常に判断し行動していることで大変大事だと思いました。

大敬さんの言葉の中で、人間は逆円錐全体の多層的存在であり仏様のあなた、菩薩のあなたもちゃんと<あなた>のうちに完備されていて表に現れる機会を待っている。

電車の席を譲ってあげたときに菩薩のあなたが出現している。とありましたが、今この瞬間に光と影のどちらへ向かうか、席を譲るか譲らないかが大変重要になってくるのだと思いました。常に菩薩であるように心掛けたいと思います。

それから祓詞ですが、思えば光の意識は多少ありますが、毎日何気なく上げることも多い今日この頃でした。一語一語を解釈していただくと毎日あげている祓詞にあらためてもっと深く霊的太陽を思う気持ちが湧いてきました。

朝日を拝みながらの祓詞の実践を明日から21日間続けます。ありがとうございました。

 

      各自のお話を聞いていて自分をちゃんと見つめることが大切だと思った。

自分の気持ちを素直に書かかれた文章を聞いて感動した。素直に正直に書くことが、自分を認めてやれるようになれる事に、その変化の素晴らしさに感激した。

自分の話についての名和先生のコメントを聞いて、最初自分が批判されているような気持ちになって少し苦しかった。しかし、それもやはり自分の過去から持ち続けてきた、いろいろ場感情を出していないから、1〜10まで、大〜小まで、すべて一つ一つの事に反応してしまうのだと思う。(先生のコメントが私の中の一番痛い所 = 一番大切な部分を突いてくれて気付かせてくださった!)

右手と左手の対話の実践を行って、自分の中のテーマは、右手の質問に対して感情出しを早急にする事という左手の返事の言葉を書きながら、文字を読む私は胸が熱くなって涙がこぼれそうになっていた。ちゃんと自分自身のハイヤーセルフは答えを用意してくれるんだと嬉しかった。

  《くすのき》でみなさんと勉強することは、いつも自分に気付きと方向性を教えてくれると思う。 来るまでにいろいろ心揺れたりしたけど、感情出しで色々なものが解決していくと思う。

今日からこれに力を入れよう!!

  

☆ 午前中、参加者一人一人の方の話の中で、自分の中にある感情を見るという作業がいかに深く、単純にはいかないもので、またいかにそれが大切なことかということを感じました。

実際、先日のセッションのときにも表面的にあふれ出ていた感情を見ることによって、その時の奥にあった感情が出て、さらにそのことによって自分が小さい頃からため込んでいて、砲丸投げの球のようになってしまっていた感情を出すということを経験したばかりでした。

また午後からの左手と右手の会話でも、最近何気なく思っていた、どっか遊びに行きたいな!という気持ち(自分ではちょっとしたことのように思っていました)から、やはり小さいときからため込んでいた感情にたどり着いてしまいました。自分ではセッションの中で少しずつ出してきて、もうないと思っていたので、まだ持っていたのかとびっくりしました。これが感情エネルギーのすごさなんですね。

これからもわいてきた感情のひとつひとつについて見逃さず、ていねいに見つめていくことを続けていきたいです。

ありがとうございました。

 

 ☆ 一人一人の近況を聞いていて、皆も同じなんだなぁと感じました。状況は違っても、それぞれのペースで前進されている感覚を味わわせていただきました。

こういうことを言う自分は大人気ないかも、おかしいと思われるかもと、恐れを抱いていましたが、こう感じ、揺れ動いたかを素直に表現できるようになってきました。鹿児島ではこういう場がないので、れいめいで自分の内の気持ちを話すことが出来てとても感謝しています。

自分の悲しみ、淋しさを外に求め続けて、もっともっと、まだまだまだ足りない。満たされる物、人を見付けると、それを今度は維持させる為に必死になる。そのことにムダにエネルギーを使い、執着していたこと。

日常から自分の感情、動機まで見ていくことによって、いろいろな「自分」に気付いていくことができ、成長していくことが楽しくなってきました。自分をちっぽけに、小さく小さく扱わずに、もっと自信を持って進んでいきたいと思ってます。

 


 

         第3期  1回       『くすのき』感想文        2008年9月14日 


☆ ACの特徴は読みながら、まさに自分のことだと思った。

以前の私はACそのものであるけど自覚はないまま、そんな自分にたくさん悩んで苦しんできた。

れいめいに来るようになって、自分自身を見つめるようになり、自分のことが少しずつ解ってきて、少しずつ楽になってきた。

けど、またまだたくさん知らない自分、見えてない自分、自分があえて見ていない自分、認めたくない自分がいて、これからもずっと向き合っていきたいと思った。

なんだかとても遠く、果てしなくて全然先が見えず、前へ進めているのか不安になることもたくさんあるけど、それでも前を向いて、光だけを見つめて少しでも、一歩ずつでも進んでいきたいと思う。

 

☆ AC・共依存をテーマに学びました。

「AC」とは耳にしていたし、私もそうだとずっと思ってました。実際テキストのACの特徴を見て「ほぼ該当している!」と驚きました。  
『自分を殺して違う自分に成り代わり、期待されている自分を演技する』
 
『かわいそうな私を隠すため、強くて何でもこなせてうまく生きている人』
 
悩みもありません。楽しいです。と特に職場ではしっかり者、強い私を長いこと演じてきました。

家に帰れば、「本当の私を誰も理解してくれない!」と嘆いていたのを思い出します。小さいときから自然に身に付けてきた、たくさんのパターンを改めてよく観てみようと思いました。

共依存においても、自分のことよりも他人の世話に一生懸命になり、その人の問題をすべて背負う、またそこに私が必要とされているのだと思い、生きがいを感じてきました。どこかでこの関係がなくならないように願っていたようにも感じます。  
自分という存在価値をどう感じ、見つけ、どこに向けて生きていったらいいか分からなかったのです。

スクールで学び、自分自身も内観していくことを通して、「自立したい!」「自立して生きていくことができる!」という自身が湧いてきました。  
ありがとうございます。
 
自分自身を一番に理解し、認め、愛することができるのは私しかいない。

 

☆ 今回のくすのきは、先月のスクール最終回に参加できず残念に思っていたところでの開催で、嬉しく思っています。参加できたことに感謝します。皆さんのお話がますます充実し、刺激をたくさんいただくことができあらためて感謝します。ありがとうございます。

今回の勉強は、『AC』と『黎明』地球生命系からでした。
ACについては、前回のくすのきで勉強し、自分の中のACを見つめ、少しは成長したと思っていましたが、改めてみてみると、特徴的な心理パターンで該当することがいっぱいありました。自分の判断に自信がもてない、常に他人の賛同と賞賛を必要とする・・・等々。
 
もう一度自分の行動、思いを振り返って見て、この心理パターンに照らし合わせて感情出しを行ってみたいと思います。

 それから『黎明』の地球生命系から。「自分の役割を完全に果たした上で、後は宇宙の働きに絶対的に信頼して全託するというあり方がもっとも懸命な合理的な人生の態度」。
自分の役割をいろいろ考えてきましたが、なかなかこれにはたどり着けない。ただ今言えるのは、今現在自分に与えられている環境、立場でやるべき事をきちんと行うここと。これが自分の役割を完全に果たすことになるのかなと思っています。どこまでこれが深くできるのか、まだ今現在では十分にできていないと自覚している自分がいます。

自分の目の前にあること、今ここを心を決めて、愛を込めて一つ一つ実践していくこと。ここに心を注ぎたいと改めて決心します。ありがとうございます。

 

☆ ACに対して何となくイメージしていた自分の認識が違っていたことが分かった。

ACの特徴を読んで、自分に該当する部分がいろいろあって、なるほどだなぁと思った。 共依存の関係も、人間関係の中で自分も自分の知らないうちに築きあげている所があると、勉強して感じた。

前回からの1か月間の報告という全員個々の話を聞くと、とても自分にとって他人事ではない自分の問題として受け止めながら聞くことが多い。しかし皆さんいっぱい体験して、しっかり進歩されてあるな〜と自分も鼓舞される。仲間がいるって好い事だなと思う。  
(
時々自分はのんびり甘すぎると焦る時もあるけど、自分に人と比べることは止めにしようと言い聞かせています。)

先生の誘導瞑想でメッセージを頂いて、ホントに自分は永遠の旅人としてあきらめず、前進して行こうと決心したことをずっと忘れず、日々の生活にチャレンジしたいと思う。

ACの項で先生より感情出しの説明を受けたが、これを早く上手くできるようになりたいと思う。 もっと自分をしっかり見つめて、自分の中にたまった感情を手放して自由になりたいと思う。

      ACをどう捉えるべきか?親と自分との関係にて、あるいは自分と子供達の関係において、それは健全なのだろうか?テキストに載っているチェック項目のうち、思い当たる項目はいくつも見受けられる。自分の小さい頃のことを思い出すと、親の期待や評価に大きく依存していたことは多々あると思う。ではそれらのことが、親と自分との間にAC的な関係を作り出しているかは判断が難しい。
では、自分と子供達との間ではどうか?妻と子供達との間ではどうか?様々な判断基準や価値観を与えることは、ある意味親の役割でもあると思うが、間違った自我意識で接することは、ACを生じさせる危険性を持っていることも理解できる。ではどうすべきかという解を現時点で持ち合わせていないが、本人たちを最大限尊重して接し、お互い勉強し合う関係であり続けることが、最も大切である様に思う。これからの自分の言動に責任を持って望みたい。

  それから、本日の皆さんのスピーチの中に、自分の内側に目を向けておられるのだなと思うところがしばしばでてきた。皆さん確実に成長されているのだなと思った。

最近『黎明』を読み返す中で、生まれてきた目的は何か?しかも地球に生まれてきた目的は何かを改めて勉強させてもらっているが、それが魂を成長させること、そして普遍意識を顕現することであるならば、自我の判断をなるべく入れない事となる。それぞれの人生を振り返って見ると、自我の働きによって様々な否定的な事象や感情が積もり積もって来たことが理解できる。

これからの将来の様々な場合において、自我の働きをどれだけ抑えられるか、というお試しがいくつも来るものと思われる。常に本来の目的を忘れぬように、今生の人生をじっくりと歩んでいきたいと思う。

       ACについては、主要な項目や習慣化された思考等を見ても、どれも当てはまっていると思われて、ACの考え方にどれだけ気付かないうちに染まっていることか、自分のこれまでの違和感のある行動に納得のいくところがありました。しかし、一番怖いと思ったことは、違和感もなく、全くそれと気付いていないことが多いということです。

私は母親との間に共依存の問題がありますが、それを子供に少しでもバトンタッチしないように気を付けていきたいと思います。子供かわいさについ口や手を出してしまい、自分の価値観だけでものを言ってしまい、自分の思いどおりに子供を支配してしまう。

言葉に書けばちょっと恐ろしいことのように感じますが、以外に当たり前のように、知らず知らずのうちにしてしまっているのではないでしょうか。

自分自身に気付き、癒していくことで、ACの問題にも取り組んでいきたいと思います。

 
 ☆
   ACについて本日学びましたが、私自身に該当する内容がたくさんありました。

また、家族内にも共依存、ACの現象の多くが該当しており、ACである部分の把握と理解をして接する事を心掛けたいと思いました。妻やその家族の行動に「おかしい」と思い、家族内で争いになったこともありましたが、今回の学習で「おかしい」の疑問の部分が理解できたので、見方を変えてみたいと思いますACの現象である事の把握と、現象が現れそうになった時の対処などを妻と相談しながらお互い支えあって成長していきたいと考えました。

自分では「一つの個性」と思っていた現象もACの現象の一つである内容もあり、驚いた面と、新たに理解できて良かった面もありました。

「自分自身を理解する」と言った意味では大きな勉強になったと思います。

『黎明・地球生命系』より。まず、この地球上に肉体を持って生まれてきたことに大きな喜びを感じました。魂の成長のためには大きな決断を持ってこの世界で生きているということを知り、生きていること自体が学びであることを知ることにより、全ての現象、物事がムダでは無く、成長に必要なものであるということを理解できることにより、これから起こる現象も容易に受け入れられるような気がします。

 

       ACのことについて勉強をさせていただき、なる程と納得することができました。

我が身に置き換えてみた時、今まで何となく変?だけど、その変?が何か解らず、自分を嫌だと感じてしまう部分がありました。しかし今日ACの勉強をさせていただき、違和感を持っていた部分を認め、受け入れることで、これからの自分をどのように立て直すかが判ったように感じます。

これからも色々な事を勉強させてください。